2003年8月15日 Webサイトと「幽玄」「わび」「さび」

代表取締役
髙橋 仁

今週は、7割以上のスタッフが夏休みを取っており、さすがに社内は静かです。日頃、ビジネスの視点で物事を考えていると、ついつい「美」というものに疎くなってしまいます。

今週は、静けさの中で日本人独自の美意識とWebサイトについて考えて見たいと思います。

幽玄・わび・さび

ご存知の通り、日本人がもつ伝統的な美意識に「幽玄・わび・さび」というものがあります。世界が認識する「和風スタイル」と関連した日本のイメージ のひとつといえるでしょう。

「幽玄」

室町時代の芸術観といわれます。ことばの意味には表れず、また、目には定かに見えなくても、その奥に人間が感じることが可能な美の世界、これが幽玄といえるでしょう。「今、そこにある姿」の美しさだけを楽しむのではなく、そこに「隠された姿」の美しさを想像することで、感動に深みを与える美意識ですね。たとえば、花を見て「美しい」と思います。それは「今、そこにある美しい姿」です。美しい花はそれだけで感動を与えますが、しかし、そこにはいままで長い闇と風雪に耐えたという過去があります。そして、どんなに美しく咲こうともいつかは枯れていくという未来があります。そうした現在の姿の裏側にある過去と未来に見るものが思いを馳せるとき、その美しさは「今、そこにある姿」を超えた感動を手にすることができます。

「わび」

茶道を大成した千利休が追求した境地 といわれ、「不足の美」ともいわれます。「飾りやおごりを捨てた、ひっそりとした枯淡な味わい」です。現代風にいえば、時流の社会の価値観に囚われることなく (世間的な事物…富・力・名に頼っていないこと) その人の心中に、時代や社会的地位を超えた、最高の価値を追求することです。

「さび」

芭蕉の俳句の理想的境地とされたようです。 「孤独」や「孤絶」を意味し、限りなく変わりゆく無情さの中に、価値を見出すこと 。利害やわずらわしい人間関係から自由となり、自然と一体となった美を追求していったのでしょうか。

「いかに見せるか?」も大切だが、「いかに感じるか?」も大切。

日頃、マーケティング、市場、競争優位性などなど考えていると、いかに目立つかということばかり目がいってしまいます。しかし、振り返って、どのように相手が感じるかという思いに転換したとき、上記のような日本人が本来もっている美意識に着目してみますと、新たなアイデアが生まれる可能性があります。

例えば、「ある商品」がいかに優れているかを表現したいとき、その機能、利便性だけと表現するだけでなく、その商品がうまれた背景、隠された事実、さらに、商品によって未来がどのような姿になっていくかということが表現できれば、そのコンテンツはより深い感動を与えるものになるでしょう。

時流の流行を追う表面的なコンテンツを重視するだけでなく、企業が持つ独自性の表現を大切にしながらWebサイトを構築することは、価値のあるものとして評価されるでしょう。

現在ある企業の姿を形成した時代的変遷、移り変わりをWebサイトに組み込むことは、訪問者にとって深みのある感動を提供するでしょう。

ページ全体の構成、部分的な構成に対して、「メッセージ(未来)・コンテンツ(現在)・データ(過去)」をうまく組み込むことに成功すれば、より価値のあるWebサイトとして訪問者に感動を与えることができるのです。

参考:幽玄 〜芸術の楽しみ〜 (岸川貴文氏)