(この記事は、2017年1月16日に公開された記事「Celebrating the “Father of Pinyin”」の日本語訳です。)

「ピンインの父」が今週、北京でお亡くなりになったと聞き、私は(彼が111歳という年齢だったにせよ)悲しい思いをしました。今日に至るまで、私は彼についてよく知らなかったのですが、勇敢にも中国政府を批判し、多くの書籍を執筆し、また文化大革命の際には亡命をしていた人物でした。その一方で、中国語を学び始めた当時、私はピンインに親しみを覚えていました(その存在に感謝もしていました)。

中国語のローマ字表記のひとつであるピンインは、中国語を母国語としない人にとって、その習得をはるかに容易にするもので、1958年にそれまで使われていたウェード式を置き換える形で制定されました(ウェード式は、二人のイギリス人外交官によって発案されましたが、その発音ガイドは実際と異なる、極めて不正確なものでした。例えば、北京のウェード式表記である「Peking」はとても不正確な発音です)。New York Timesに掲載されたZhou氏の記事には、次のようにあります:

以後、ピンイン(その名前は「音の綴り」と訳される)は、国じゅうで読み書き能力を大幅に改善してきました。中国語を学ぶ外国人が教室で感じていた苦痛を和らげ、視覚障害者には点字で言語を読めるようにしたのです。また、Zhou氏はピンインの開発を通じ、コンピューターのキーボードや携帯電話における中国語の素早い入力を予見し、また手助けをしてきました。

私が中国語を学び始めたのは1990年代のはじめ、第二外国語としての英語を教えるべくアメリカからアジアに移住する前のことでした。大学の初心者向けクラスで学び始めた私は、文字を記憶することを要求されたものの、それは実に困難でした。加えて、教師が台湾出身だったがゆえに、彼は簡体字(中国本土で採用され、読み書き能力を向上させたもの)ではなく、繁体字を使っていました。「美しい」という意味の単語を簡体字で書くと:

美丽

となります。そして同じ言葉を繁体字で書くと、次のようになります:

美麗

繁体字のほうが、どれだけ多くの画数を要するか、お気づきでしょうか。また、英語を母国語とする人間に対して、それぞれの文字をただ眺めるよりほかに、発音の仕方を伝える術がないことにも注意が必要です。これこそ、ピンインが求められるゆえんです。もしピンインなど無くて、ウェード式の発音に従わざるを得なかったら、台湾の人は私の話をいち単語たりとも理解できなかったでしょう(標準中国語も1文字につき4つのトーンがあり、外国人にとっては言い間違えやすい言語のため、話した内容が理解されるのは実際とても難しいことなのです)。

ひとたび台湾を訪れてから、標準中国語を書くよりも話すことに注力しなければならない、と気づきました。生き延びるうえで最も重要なのは、話し方を学ぶことだったのです。多くの繁体字を学ばなければなりませんでしたが、食事をするときや(大抵は食堂自動車で食べ物を買っていましたがメニューを読む場面がそう)、銀行に行くとき(ATMでの取引はすべて中国語です)、そして目的地へ向かう経路を探す場面でも(道路標識やバスのサインは繁体字で書かれていました)、あらゆる場面おいてそれは必要なことでした。

言葉としてあまりに英語と異なっていたため、中国語の家庭教師から言われた通り、私は「英語の忘れ方」を学びました。中国語を理解する唯一の方法は、頭のなかで翻訳するのでなしに、中国語で考えるようアプローチすることでした。私はその方法に魅了されました......中国語は美しく、複雑で、巨大ですが、物事を中国語で考え始めた途端、文字の一つ一つがアイデアの組み合わせから成ることに気づき、それを学ぶことがさほど難しくなくなるのです。簡単な例を挙げると、「アメリカ」という単語を簡体字で書くと:

美国

そしてこちらが繁体字で書いたもの:

美國

これは発音記号で「Mĕi guó」と発音するもので、「美しい国」と訳されます。見ての通り、最初の文字(美、meiと発音)は先だって「美しい」という意味の単語で引き合いに出したのと同じ文字です。

2年が経ちアジアから帰ってきた際、中国語で考えることに慣れすぎていたせいで、英語を口にすることがいかに難しくなっているかに気づかされました。当時私はよく、中国語で考えたことを英語に翻訳したかのような、シンプルな文を話していたのです。再び、英語を母国語とする人が話しているのと同じように話せるまでは、長い時間を要しました。

私が書いた最初の本、『Forgetting English(英語を忘れるということ)』の第3版が発売されるにあたり、これらの出来事を思い起こしました。中でも書籍のタイトルを冠した物語は、フィクションでありながらも、中国語の家庭教師とのやり取りを含め、私がアジアで過ごした時代に着想を得た内容を多く含んでいます。

Zhou Youguang氏の素晴らしい人生に思いを馳せることは、とても勉強になります。先に言及したNew York Timesの記事にあるように、彼は「ピンインの父」にとどまらない、偉大な存在でした。文化大革命のあいだ、強制労働収容所に送られながらも、彼は共産主義体制に批判的であることを隠しませんでした。ブリタニカ百科事典の中国語訳の監修を含む彼の功績の数々、彼が40冊以上もの書籍(一部は中国国内で発売禁止されました)を著した事実、そしてそのうちの少なくとも10冊は彼が100歳を過ぎてから出版されたといったことは、実に良い刺激を与えてくれます。

『Forgetting English』表紙

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