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「あなたのためとわたしのため」主語の使いかたに見る日本人のアクセシビリティ理解度

2005年9月27日

HCDコンサルティングチーム
岡田 恵子

「私」と「あなた」の距離感

日本語は主語を省略することが多い言語ですが、それがゆえ、たまに主語をつけて話すと不自然な文章が出来上がることがあるようです。たとえば、「わたしたち」という言葉には、話し手側しか含まないような響きがありますが、同時に、聞き手をも含めた表現をすることもできます。これに対し、「あなたたち」という表現には、話し手は含まれず、話し手と聞き手の間に一線が引かれる感じがあります。

ひとつ例を挙げると、先日の衆議院選挙での候補者の演説の中で、「あなたたちが、もっと安全に暮らせる街を・・・」のような、「あなたたちにとって・・・」といった言いかたを繰り返す人がいました。本人が意識しているかいないかはわかりませんが、とても第三者的な話しかただなという印象を受けました。つまり、「もっと安全に暮らせる街」というのは、「聴衆が」住む街であって、話者である「候補者は」関係ない街、という切り分けがされてしまう感があります。捉えかたによっては、「あなたたちだなんて、他人事のような扱いをして!」と不機嫌に解釈する人もいるかもしれません。話す人は意識していなくても、「あなたたち」という主語をつけたことによって、「候補者と市民」という、変な距離感を作り出していることは事実です。

「あなたたちのための」アクセシビリティ配慮

ちょっと話がそれてしまったような感じもしますが、Webサイトを構築する際にも、同じようなことが考えられると思います。たとえば、昨年JIS化されたことで高まっているアクセシビリティ配慮の必要性においては、中心となる考えかたとして、「障害者や高齢者に対しても、使いやすいサイトを作らなければならない」、という認識のもとで、アクセシビリティに配慮しようという動きが活発化している感じです。しかし、本来アクセシビリティに配慮するということは、障害者や高齢者に限らず、すべての人が利益を受けることができるものである、ということも忘れてはなりません。

国内の健常者と障害者の人口比率からも、Webの制作者はどうしても健常者が多くなります。つまり、「障害者が」あるいは「高齢者が」使いやすいという考えかたは、「わたし(健常者)」ではなく、「あなた(障害者や高齢者)」が使いやすいサイトを作りましょう、という、第三者的な見方が無意識のうちに強く出ているものではないでしょうか。これもまた、「あなたたち」という線引きをすることによって、「私たちみんな」、つまり、「あなたにとっても、わたしにとっても、使いやすいサイトを作りましょう」という考えかたがなかなか理解されない一因になっているのではないでしょうか。

「わたしたちのための」アクセシビリティ配慮

自分と他人という線引きをしてしまうのは、おそらく、Webアクセシビリティというものを難しく捉えすぎているのかもしれません。たとえば、誰でも次のような経験があるのではないでしょうか。長時間Webサイトを閲覧していて、夕方くらいになって目が疲れてきていれば、サイトの表示フォントサイズをちょっと大きくして読みたい時もあるでしょうし、オフィスなどで音声情報を再生しづらい環境にいる場合もあるでしょう。そんなとき、フォントサイズが固定されてしまっていたり、音声情報と同じ内容をテキストで閲覧することができなかったりしたら、不便だと感じませんか?

大切なのは、「あなた」も「わたし」も含め、「誰にとっても」使いやすくすることを考えることなのです。冒頭のように、「あなたたちにとって」という考えかたがある限り、JIS準拠だのアクセシビリティ配慮だの言ったところで、健常者と障害者の距離はなかなか縮まらないでしょう。アクセシビリティは、バリアフリーとも言いますが、バリアを取り除くこと、つまり排他的な第三者の視点ではなく、同じ視点で捉えようとする努力が必要になります。日本でのアクセシビリティに対する取り組みを、表面的なもので終わらせないためにも、たまには意識して主語を考えてみるのもいいかもしれません。